【おたよりコラム】私のお手本
- 新 三尾
- 5月3日
- 読了時間: 4分
このゴールデンウィークに『動物にふれあおう』というイベントで、動物園や水族館の飼育員さんになるための学校にいってきました!その学校に行くといつも思うことがある。生き物に全力で愛情を注いでいる方々は子どもとの関わり方が本当に本当に上手だということ。そこの学生さんと5年以上関わりながら、なにが素敵なんだろうと、素敵なところを真似できないかとみていて、3つのことがポイントなんだろうなぁと感じるようになった。 まずはなによりも相手想いということ。この相手想いという強みは、きっと生き物の気持ちを汲み取ろうと日常からしているからこそなのだと思う。生き物は言葉を使わない。言葉を使わない相手とコミュニケーションをとるためには、表情、目線、態度、いつもとの微妙な違い、そんな直接相手が伝えてくる表面的なことだけではなく、相手の感じていることを深い部分まで、自分から知ろう、知りたい、そういう気持ちが必要なのだと思う。相手がなにを感じているかに気づこうという姿勢が子どもたちと関わるときにもひとりひとりに寄り添う力に変わり、子どもたちの居心地の良さにつながっているように思う。
ふたつめはそのまんまを受け止めるということ。様々な言葉や行動をとる子どもたちひとりひとりを型にはめることなく、ひとりひとりをそのまんま受け止めてくれるのだ。この子はこういうところが特徴なんだなという認識はしつつ、それが『普通』『通常』『外れている』というような判断をせず、その子にとってどうしたら一番心地よいか、一番伝わるかと対応を考えてくれているのが伝わってくる。学生さんたちにとっては当たり前のことなのかもしれない。同じ種の生き物であっても、個体ごとの差がとても大きい。引っ込み思案な子もいれば、人懐っこい子もいる。ビクビクして威嚇しちゃう子もいれば、ビクビクして固まっちゃう子もいる。中には噛み付いたり、引っ掻いたりする子もいるだろう。それでもそんな行動すらもそのまんま受け止めている。この生き物はこうあるべき、というような固まった考えをもって接することがなく、目の前の子をそのまんま受け入れるということが当たり前になっているのだと思う。
そして最後は好きなものに興味を持ってくれているという状況があると思う。自分が好きなことについての話というのはやはり楽しいもの。しかもそれに目を輝かせてくれ、どんどん質問が出るほどの相手というのは嬉しくなる。素敵なところをもっともっと知ってほしいと、どんどん伝えようとしたくなる。目を輝かせながら好きなことを話す学生さんたち、生き物が好きで、その話に目を輝かせながら引き込まれていく子どもたち。もう、間違いなく素敵な関係ができあがる。
毎年、学生は入れ替わっているのに、いついっても本当に素敵な方ばかり。私もそんな彼らを見習って、まずは言葉なしでも、安心感・信頼・楽しさを子どもたちが感じとれるような存在になっていきたいと思う。もちろん言葉も大事だけれども、言葉は枝葉の部分だと思っている。でも今、この文章を書きながら思う。しばふハウスの開放の時間に、パソコンと向き合いながら、作業をしながら、絵を描きながら、子どもの話を耳だけで聴き、受け応えしてしまうこともあるなぁと。結局、枝葉の言葉という情報だけで対応していることになる。私自身まだまだだ。目をみて、体を向け、しっかりひとりひとりと向き合って、触れ合いながら(は難しいこともあるけれど)、心と心がつながるようなあたたかいコミュニケーションをとっていきたいと改めて感じた。そして一緒にこうも思う。子育てをしている親は偉大だと。いまでこそ言葉も話し、表情も態度も豊かな子たちだけれども、あかちゃんのころには、まさに私が理想とするような、言葉ではなく、相手がなにを求めているか必死に考え、声をかけ、その子の特徴をそのまま受け止めるというコミュニケーションを毎日、それも24時間し続けていたのか、と思うと尊敬しかない。学生さんたちも、お母さん方やお父さん方も、私のお手本。お手本となる方が身近にたくさんいる。どんどん吸収し、少しでも子どもたちにプラスになるように学び、変わり続けていきたい。 三尾 新
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